クリニカルパス学会で訪れた岐阜市は佐藤が幼少の頃、実家(大垣)から絵を習いに通った街だ。(そのせいか、小中学校の校内写生大会では常に入賞【金・銀・銅賞】を果たしていた。)

その頃の岐阜の街は、繊維問屋が街の中心地を占め、活気に満ちていて人通りも本当に多かったのを子供心に感じていた。

ところが、今回の学会出張で、様変わりした岐阜市を見て唖然とした。

とにかく、人の通りが県庁所在地にしては少な過ぎるのだ。

戦後、繊維産業で興した街だが、その繊維も斜陽産業となり、岐阜およびその周りの市も次第に活気を失っていく運命の道を辿ったということだ。

観光と言っても金華山にそびえたつ岐阜城があるのと、長良川の鵜飼くらいが有名であろう。

しかし、通年でのインパクトには欠ける。

やはり、政治が産業の復興を真剣に後押しして取り組むようにしていかなければ、なかなか地方都市が活気を取り戻すということは難しいと言える。

経済復興に手腕を発揮する郷土の政治家の出現が今ほど望まれる時は無いのではないか。